山崎くみこ

看護師

リレーション&ヘルスケア アドバイザー

かぞくコンサルタント

ライフイベントあるある応援サイト「Famipedia」運営者

 

 

わたしの生い立ちのストーリーです。よかったら読んでください。

誕生ー勝気で優等生気質な学生時代

1981年自然がいっぱいの岩手県で生まれました。
農業を営んでいる祖父母と、会社員と農家のわらじの父母、兄の6人家族でした。朝起きてから夜寝るまでお酒を飲む祖父は父や兄とよく言い争いをしていたし、祖母と母の絶妙な嫁姑関係を敏感に感じ取るような子ども時代を過ごしました。
勝気で負けず嫌い、クラスの中心になりたがる性格でした。成績は普通だったものの、どちらかというとしっかり者キャラで小中高で生徒会の活動をしていました。高校時代は恋愛を謳歌し、父親のススメもあり看護の道にすすみました。学生時代に父親がガンの診断を受けました。

医療への絶望と葛藤

看護師1年目の時に、想定よりも急に父親が亡くなりました。祖母と母が悲しんでいるのみて、わたしは父を亡くした悲しみに向きあえずに、仕事や活動に忙しくしていました。父親の死の置き土産は「看護師なのに何もできなかった」という無力感。やがてそれは「どんなに手を尽くしても『死』が避けられないなら、医療や看護の意味ってなんだろう」という絶望に変わっていきました。

それでも、目の前に患者さんがいればプロフェッショナルとして接しなければならず、患者さんが亡くなっても何にも感じなくなるくらい、私の心と体は大きく乖離をしていました。

 

超ドライな新婚生活

そんな中、友人を介して夫となる人と知り合います。4ヶ月目には妊娠してることがわかり、お互いのことがわからないまま結婚しました。夫婦になるってどういうことなのか、家族になるってどういうことなのか、それすらわからずに 親という役割をこなそうと奮闘していました。すぐにもう一人子供が生まれましたが、二人で協力して子育てをしたという感覚はなく、自分ばかりが頑張っていると感じていました。夫は飲み会のたびに午前様の帰宅で、住む場所が同じだけの人のように扱っていました。

 

度重なる挫折の経験、私が正しいんじゃなかったんですね。。

引っ越して、まわりにサポーターがいないのに子育てとフルタイムを両立できるだろうと安易に考えて失敗しました。お互いにストレスフルの頃、夫が浮気しました。離婚する勇気がなく表面上は取り繕っていたけどうまくいきませんでした。夫婦関係をなんとかしよう(夫は間違っていて自分が正しいと承認して欲しかった)と、夫婦でセミナーに参加しました。そこでフィードバックをもらったのは、夫が間違っているどころか、私のあり方がさげまんだよねという衝撃の一言でした。とても受け入れ難かったのですが、そこから人の心理や感情のこと、癒しや原理原則を学ぶ旅が始まりました。徐々に徐々に夫婦関係が改善されていきました。父親を亡くした悲しみとちゃんとつながれたのもこの頃でした。このことがきっかけとなり、心と体がつながっていてること、関係性が互いの心身の健康に影響しあうことを実感しました。
その後娘を出産し、祖父と祖母を続けて亡くしました。父親の時は何にもできなかったけど、祖母のときは悪化する前に外泊でき、叔父や叔母と最後の時間を持てたこと、お葬式のあとに感謝と承認をしあえる機会を持てたことは本当に嬉しい経験でした。

 

人生はライフイベントの連続であること

これまでの経験を通して、個人や家族の病気の予防や健康増進・メンタルケアを、リテラシーを上げる教育も兼ねて行いたいと考えるようになりました。これまでは、生まれて学んで仕事してリタイヤしてという生き方だったのが、これからは学ぶと働くと遊ぶを同時にしながら生きていくに変わっていくと思います。今もいますが、子育てと介護が重なっていたり、働きながら学ぶ人がいたり。そしてそこには必ず誰かの存在があり、互いに影響しあいながら生きています。世界は危険で誰も自分の味方なんていないと思ったまま生涯を終えるのではなく、関係性を育み、喜怒哀楽を分かち合うことに貢献できたら、これ以上嬉しいことはありません。

 

 

わたしが実現したいこと

・自分を安心して出せる場所

・家族内でゴタゴタが起きた時、相談したり、どんな見方ができるのかを学ぶ場所

・関係性が互いの心身に影響し合うことを理解し、自分や人を尊重することを実践する場所

 

そんな場所が誰にとっても当たり前にある社会の実現に向けて活動しています。

 

【客観的なわたし】

太陽星座 乙女座、月星座 蟹座

マヤ暦:KIN241

数秘:3、4、3、7、11

動物占い:コアラ

 

【得意分野】

夫婦関係、家族関係、子育て、メンタルケア、